儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

野菜の苗を早々に枯らした。野菜は甘くないな。

素人同然で始めた、野菜作り。
いろんな方に参加してもらって苗を植えたけど、熱い日が続いたのと、田んぼだった痩せた土地なのもあり、根が張らず、苗が枯れました。
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まぁ、そんなうまくいかんよな。
85歳のばあちゃんにもいろいろアドバイスもらいながら、、、
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土の改良からやることに。
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かたーい土を柔らかく、根が張れるようにするために、培養土をたくさん入れました。
その上で、苗の植え直し。
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元気になった。
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富山にIターンした岩下くんが植えたとうもろこしは元気です!!
野菜作りも一朝一夕にはいきませんなσ(^_^;)

林でしたー
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秋は、芋ほり大会します!!そのため芋の苗を10本植えた!!

林です。木が2本で林です。

秋は、やっぱり芋ほり大会でしょ!!

大会の意味がよくわかりませんが、芋ほり大会やりたいです!!

なので、芋苗10本を購入しさっそく畑に植えました。

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こちらが植える前の五郎島金時の苗10本。

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秋に楽しく盛大に芋ほり大会やるのでみなさんのエントリーをお待ちしております。

また、情報はfacebookで更新するので、イイネ!を押してね!

*HAYASHIプロジェクト*

富山の里山で遊ぼう。
facebook:https://www.facebook.com/Hayashi-251980985149617/

とりあえず、人呼んでみんなで楽しく畑つくってみた!!

 前回、HAYASHIプロジェクトについて簡単に紹介したが、

さっそく友人たちを連れてきて一緒に畑を作ったので、その話を。

88hanzo.hatenablog.com

 

僕一人では到底耕せない広大な土地。

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そして、草ぼうぼう!!

10筆以上あるこのあたり、10年ほど耕作放棄しております。

木々もツタが絡みまくり、大変なことに。。。

そんな中、東京からやってきた2人!!

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一人一つ畝を作り、好きな苗を植えてもらいましたー!!

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こちらは、きゅうり。

他にもなす、ピーマン、トマトとか植えた!!

 

そのあとは、3名参加で苗植えイベント!!

HAYASHIプロジェクトの最初のイベントを開催しましたー

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参加者に行ってもらったのは、

まず、土地を耕し、土に空気を含ませる!

そして、石灰を入れて土を弱酸性にする!

さらに、肥料を入れて耕す。

そしたら、マルチをかけてから苗を植える。

苗が倒れないように支え棒を立てたり。

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こ~んな感じで、畝がたくさんできました!!

出来た野菜をみんなでBQQやりたい!!

ってそんな感じでうまく育てばいいけども、

人が植えたものを僕が管理するのは責任重大…

とにかく水やり水やり!!

こんな感じでやってます!!

*HAYASHIプロジェクト*
富山の里山で遊ぼう。
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自殺したいならその前に、行政で命を預かる仕組みをつくってはいかがだろうか。

自殺するとき大抵、大げさに死ぬ。
はっきり言って人の迷惑だ。
電車に飛び込めば誰かが処理して、
家族がかけつけて一件落着になると思っているのか?

そもそも、がんばらないといけない!そんな風潮のある現代社会がつまらなすぎる。
必ずしも、一生懸命生きる必要はないと思う。
無理して、介護されて、病院行って、生きる必要はない。
人生もう、いっかなって思ったら死ねばいい。

でも、せっかく死ぬなら人の迷惑になってはいけない。
内臓ドナーを待っている患者もいれば、
様々な研究で人体が必要なこともあるだろう。

生きた生身の人間を社会のために使う人たちと、
自分の命がいらない人たちのマッチングを行政がすればいい。

そういうウェブサービスでもいいけど。
死にたい!生きた人間がほしい!っていう双方のメリットが合致する!てきな?

内容的に行政が社会にプラスの影響があるようにやるのがいいな。

ってこんなこと書くと、最悪なやつだなって印象めっちゃ悪くなりそうだけど、こういう意見は世の中にあっていいと思う。

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HAYASHIプロジェクト始動。里山を切り開け!!

林 です。

2016年春、9年間の東京生活を終え、富山県里山にUターンしました。

無事に就職もでき、平日はお勤めです。

土日は、暇です。ってことで、家で遊ぼうと思います。

一人じゃつまんないので、みんなで家で遊ぼうと思います。

つまり、シェアハウスです。

都会は、マンションの部屋をシェアしたりするけど、

富山の里山では、家と言えば、

母屋、納屋、蔵、庭、畑、田んぼ、これ全部”家”!!

つまり、みんなで畑、田んぼで遊ぼ!納屋で蔵で遊ぼ!

 

林家をシェアします!!

HAYASHIプロジェクト

 

って感じで、さぁ畑でも耕そう!!と思ったが

そもそもどこからどこまでが林家の土地だったかな…

9年間東京で油を売ってたので、何も知らないことに気付いた。

 

東京ドーム1個分とか2個分とか言われる土地があるのに、

ほとんど場所がわからない。

 

土地を調べるところから始まった。2016年Uターンした春。

つづく。

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*HAYASHIプロジェクト*
富山の里山で遊ぼう。
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岩手県紫波町に行ってオガールプロジェクトを見てきた話。

地方創生とか、町おこしとか好きな人は、知ってるだろう。

岩手県紫波町といういた

って普通の町が注目を集めていることについて。

 

まず、今の地方の課題をざっくり整理。

1.交流人口が減少し、消費が低迷、雇用もできない。

2.国の補助金助成金があれば、公共施設をつくりまくり、維持費は毎年行政の負担になる。

3.結果的に、お金がなく、新しい取組もできない。停滞する一方。

 

紫波町のすごいところ

1.交流人口を増やし、雇用を作った!

2.国の補助金助成金に頼らず、株式会社を設立し儲かる仕組みをつくり、銀行から融資を受けた!

3.PPP(公民連携)手法を取り入れ、お金を生み出し、新しい成功例として、他市町村にも影響を与えた。

あとは、それらを実現可能な土壌(考えた方)が役所にあったこと。

 

良く、バレーボール専用体育館を作って!すごい!とか、言われているがそれは結果であって、その結果にいたるプロセスや、どのような考え方でその結果が生み出されたかがもっとシェアされるべきだと思う。

 

いろんな事例があっても、どこかを参考にして真似して成功しました!

なんて事例聞いたことない。あるのかもしれないけれど。

 

同一人物が同じ考え方で、複数の地域で成果を出すことはあるけれど、

考え方が同じなだけで、結果は当然違ってくる。

 

岩手県紫波町の場合は、

いかに厳しい財政状況を打破するかが課題であった。

そこで始まったのがオガールプロジェクト。

Home|オガールプロジェクト

 

詳しくは、サイトを見てほしいが、

エッセンスでいうと、

行政と民間が連携すること。

図書館を併設することで、ビジネスを目的としない人が訪れる場所ができる。そこに、ビジネスをしたい企業にテナントを貸し出すことで、不動産業を行ったり、岩手県サッカー連盟?の本部を誘致し、交流人口の拡大をし、一般企業のビジネスチャンスをつくり、不動産価値を上昇させた。

この民間企業は、銀行からの融資で資金を調達し、経済活動を行う。

もちろん、民間企業なので固定資産税や法人税などの税金を市町村(県)に収めている。

紫波町は、他の市町村が多額の税金を投入して赤字の施設をつくり、失敗していく中で、民間企業と連携することで、町ににぎわいが生まれ上に、税収がアップという最高の結果を生み出すことができたのである。

 

私が話をしたことのある役所の方は、前例がないこと、リスクがあること、そういうことをとても嫌がり、良く考えもせずにできないという。

いや、そうではない。考え方が間違っているのである。

事務だけやる事務屋さんから、新しい街を創造するクリエイター屋さんに早く変わるべきである。

そんな私は、自分の家、土地を新しい里山の暮らし遊びをクリエイトしていきたい。

 

写真は、平成26年3月に実際に岩手県紫波町を訪問した際の写真と、氷見市で4月にあった岡崎氏の講演の様子である。

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東北本線に出来た紫波中央駅、オガールはこの駅前にある。f:id:hattorinoboru:20160426233044j:plain

⇒駅を降りてロータリーを過ぎて、最初の交差点で止まるとこんな風景。両サイドの建物がオガール。全て2階建てです。2階建てにしたのにもいろいろ訳があります。

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⇒オガール横にできた紫波町の新庁舎。この建物にもいろいろ話があるのだが割愛。f:id:hattorinoboru:20160426233241j:plain

⇒オガールの中にある、スーパー。地元産の食材が目立ちます。

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⇒スーパーで買った地元食材をすぐ横の広場でバーベキューにして食べれます!

これは、市民からのアイデア。実は、このオガールには市民の声もたくさん入っております。f:id:hattorinoboru:20160426233126j:plain

⇒オガールで泊まりました。施設内にホテルがあります。

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⇒夕食はないので、オガール内にある居酒屋へ。金曜だったのでほぼ満席です!!

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⇒ここでも地元の食材に、岩手のお酒。紫波町のお酒を頂きました!

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⇒ホテルの部屋の天井部。民間企業としてやってるので、必要最低限の投資に抑えるために、むき出しだったりします。こういうのは行政じゃできないこと。f:id:hattorinoboru:20160426233108j:plain

⇒オガールのホテルは朝食付。この1階で食べます。

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⇒地元食材を使った朝食はビュッフェスタイル。体に良さそう♪とてもおいしかった!

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富山県氷見市で行われた講演会の様子。

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⇒稼ぐ!これは大事なキーワードです。

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⇒バンカブルな思考力とは、お金をどう生むかという考え方。スキームづくりですね。

⇒ニッチテールとは、バレー専用コートを作ったこと。誰もやらないニッチなところを攻めろ!ってこと。

 

富山にUターンした理由。

28歳の誕生日です!!

歳を取ると年齢なんでだんだんどうでもよくなりますね。

88歳の祖父が「わし何歳になったがぁ?」と何回も聞くのも頷けます。

そして、この春ついに富山にUターンしました。

流行りにのっかったみたいですが、しかしなぜUターンしたのか、書いてみたいと思います。

大きく分けて2つあります。

 

【①祖父の想い】

現在、私は母方の祖父母と暮らしていますが、

元々、祖父母は2人暮らして同居の子どもがいませんでした。

うちの母親は嫁に出たので、祖父と祖母の2人ぐらし。

私が小さいとき、小学生のころからというか、物心がついたころから

登はうちをつぐんや、と口酸っぱく言われていました。

言われ続け、28年。祖父も88歳の高齢になり、若いときは畑や田んぼもやっていたのですが、全て辞めてしまいました。気付いたら私は、祖父の想いと真逆の東京で一人暮らし。んー、いい加減帰らないと、大きな家と耕作放棄の畑や田が残るだけ、、帰って祖父母の跡を継ぐなら早くしないとタイミングを逃す、そう思ったのが理由のひとつ。

 

【②地域への想い】

富山県小矢部市に生まれ育ちこの地域に愛着がありました。

東京へ進学したものの、将来を考えた際にやっぱりこれからは地方が元気にならないといけないと強く思った。

なのに、地方はなんとなーく元気がないように見えた。

20代の若い人たちが遊ぶ場所がない。

東京はたくさんありすぎるくらいある。

多種多様なイベントがあり、いろんな趣味を楽しめるし、飽きない。

けど、富山の里山でも20代が楽しい!!って思える企画だってできるんじゃないかな。というか、やってみよう!と思った。

そして、そんな中で、小矢部という地域が好きだ!って思う人たちが今よりずっと増えたら嬉しいし。笑顔がたくさん増えたらいいなって思う。

って中で、うちの東京ドーム1個とか2個分とか言われる土地でやってみようかなって思った。そんでその先、もっと力をつけて地域に貢献できる仕事につなげられたらって思う。そんな想いで、富山県小矢部市里山にUターンした。

 

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