儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

今日は神宮球場ヤクルト広島戦に行くよ\(^o^)/

こんにちは。

地元の友達のLINEグループに
GW(ゴキブリウィーク)ですね!って
書いたら、全員にシカトされた服部です。
 
今日5/2は、神宮球場に広島カープの応援に行きます!
今年初観戦!
黒田さん登板を狙ったが、
黒田さんは昨日だったようで、残念。
 
今日は、僕が広島カープを愛する理由を説明しておく。
なんで広島なの?富山に球団ないから?
と言われるので。
 
広島カープは戦後の希望だった!

広島カープは、戦後の広島で

当時衆議院議員の谷川昇氏が声を挙げ

カープ設立のために市町村を回り説得した。

当初、県と市町村からの出資で球団を作ろうとした。

しかし、戦後間もないこともあり、出資は思うように集まらなかった。

当時監督に就任した石本監督は、市民の希望である広島カープ

つぶしてはならない!と、自ら遠征に同行せず、

市内で募金活動を始める。

その様子を見た市民が、自ら樽を球場前に設置し

自主的に募金を集め始めた。

市民は、戦後の復興の象徴として、

広島カープを愛しており、

募金活動に積極的に参加したらしい。

その募金の結果、なんとか球団を維持することができた。

広島カープは、現代求められる行政のカタチ

市民の声を受け、議員が中心に活動をし、

出来上がり、出来上がったものを

結果的ではあるが、市民が自ら支え

市民の心を満たした。

当時、今ほど娯楽がなかった時代

プロ野球はとても大事な存在だったはず。

市民の生活の質は、広島カープの存在で

かなり向上していたはず。

もし、県と市町村が多額の資本金をだして

県と市町村が支える球団になっていたら、

長く続いてないだろう。

これが、結果的とはいえ、市民による

市民のための球団になったことが、

広島カープが広島カープである所以だと思う。

現代求められる行政・自治体のカタチに近い。

行政がやるのではなく、

市民に必要なサービスやものを市民で自ら提供する。

行政の役割は小さくなっていく傾向にある。

行政が全部やるという時代は終わった。

広島カープが愛されているには、

マツダスタジアムに観戦にいった際に強く感じた。

お爺ちゃんとお婆ちゃんと孫でくる、そんな姿がとても多い。

世代を越えて市民から愛されている。

本当に素敵。

この広島カープという球団は、

いつも様々なことを気づかせてくれる大事な存在。

今日は、どんな発見があるだろうか、楽しみだ。