儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

林になります。

僕は、親の家が砺波市にありながら、
祖父 林清の小矢部市安楽寺の家から通っていた。
幼稚園も小学校も全部小矢部市
服部の父方の実家は、小矢部市津沢。
後継ぎがいないからと、次男の僕に
継がせたい!家にいろ!と祖父はずっと言っていた。
けど、やっぱり東京に憧れていて、
小矢部なんて富山なんて世界では誰も知らない。
けど、ニューヨークで東京!って言えば通じるのだ。
東京ってすげーって思ってたし、
プロジェクトXとか見てても
日本の中心は常に東京だった。
世界を相手に渡り歩く、東京に憧れた。
大学は誰もが反対する中、東京へ。
もうこんな田舎に帰らない!って思った。

そんな大学生活での大きな変化は、
中学の同級生の死だった。

20歳の成人式前に聞いた。
バイク事故。
特別仲がよかったわけじゃないけど、
彼の趣味とか好きなことよく知ってた。
人生20年も生きると、死ぬこともあるのか、って思った。
人生って何で生きてんだろ?
なぁ、お前なんで死んだん?って空に問いかけた。

なんで、おれは適当に東京で大学生やってて
彼は事故でたまたま亡くなったのだろうか。
おれが死んで彼がもっと好きなことやってたほうがいいんじゃないだろうかって思った。

んー、生きてる意味なんだろ。考えた。

とりあえず、彼の分も生きないと申し訳ない。

彼の分も生きる。
彼のために生きる。
んー
人のため、世の中のために生きたい!
そう思った。
そしたら、生きてる意味あるよねって。
人に感謝される人だったら、生きててもいいよね?って。

日本を変えたい!って思った。
日本が変われば世界が変わる!って思った。
日本経済の影響力は大きいし、これから多くの国が直面する高齢化などの課題に先に直面していることもある。

日本を変えるためには、地方だと思った。
地方が元気になれば、日本が元気になるんじゃね?って。
地方ってどこだろ?
あ、
富山?小矢部?

僕の頭の中には、
幼少期を過ごした小矢部の風景があった。

祖父の手伝いで入った山の景色。
緑の匂いが濃かったな。
近くの小川を泳ぐ、めだかさん。
自由研究で母と毎年同じテーマで調査した小矢部川
部活帰りによった街の駄菓子屋さん。
冬はかまくらが作れるくらいの雪。
季節ごとにあるたくさんの祭や行事。

けど、ニュースで流れるのは、
夕張市の破綻など財政難の地方市町村の様子。
小矢部市ももちろん例外でなかった。
んー、地方行政って一番身近な行政なのに、なんだかなー今の行政は、違う気がした。

教育実習で行った母校石動中学校。
一年生のクラスに入ってたホームルームやったり、社会の授業をした。
あるとき、中1の男の子が
先生!おれ小矢部ヤダ!高岡がいい!と言ってきた。
え、なぜかその日、その言葉ばかりが気になって実習が手につかなかった。

悔しかった。むかついた。
自分の育った小矢部を侮辱された気がした。

小矢部にずっと住わなくていいが、
小矢部に生まれてよかった!
小矢部がすき!って思って
東京へ、世界へ飛び立ってほしい。
そう思った。

小矢部が嫌で、富山が嫌で東京に、ってよりは
小矢部が好きで、富山が好きで、
そんな地元で学んだことを生かしてより頑張ります!って自信とかにつながるのが理想じゃないだろうか。

だったら自分でやろう。
子どもも、大人もこの街がすき!って心から言ってもらえるような街をつくりたい。

って流れもあって、
母方の養子になり、家を継ぐことにした。
大きな家や広い田畑が自由に使えるのも大きな魅力。

服部登から、林登に3/18に戸籍を変えます。
最終的には3/30に富山に引っ越します。

なんか、富山に帰るまでの流れはこんな感じです。
3/19に飲み会やるので、お時間ある人はご参加くださいな。

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