儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

東京に憧れる地方の高校生よ、大学は勉強して23区内の大学へ行け!八王子に行ったら田舎だった件。

大学は帝京大学文学部教育学科でした。
前にも書いたが、学校の成績はすこぶる悪かった。
地理と現社と地学だけ大好きだったけど…

東京行きたくて志望校はずっと学芸大学!
早稲田とか慶應とか東大、明治、立教、、
あー今でいうGMRCHI?とかいうやつ。
それらには、到底いけるレベルではなかった。
ジーマーチとか、マーチって東京来て初めて聞いたのも衝撃だったが。

東京学芸大学はE判なので、
一度だけ、奇跡的に模試でB判とった埼玉大学教員養成課程を受験。
埼玉なら東京近いやろ!ってな。
実際のセンター試験は結果あんまりだったので、厳し目だったが、先生におれ埼玉しか国立受けるところないっす!って言って
無理矢理受けた。

結果埼玉大学は、センターと二次合わせた点数で合格点まで40点足りなかった。
2200満点での40点だったはずだから、僕としたら惜しかった点差。

滑り止めとチャレンジ校の私立は、全部都内の大学にして、1週間東京で受験生活した。

そのとき困ったのが、当時セブンイレブンが北陸になくて、
北陸銀行のカードが東京のセブンで使えなかったこと、、、

そんで、二つ受かったところあったが、
帝京大学にした。

場所は帝京大学八王子キャンパスは、八王子市と多摩市と日野市の境目に立つ。
大学から歩いて10分しない場所のアパートを借りることに。
富山にいるとアパートを借りるとか全くないので、親と一緒に賃貸の仕組みを理解するところから始まった。

住んでみてから、わかったが
憧れの東京と言えば当時は
新宿、渋谷、原宿のイメージ。
しかし、新宿行くのに家からバス停まで5分、
バスで10分聖蹟桜ヶ丘駅まで、京王線でさらに新宿まで30分。
バスを待つ時間とかいれると、1時間はかかる。
地元小矢部市からは、
富山市まで電車で30分、
金沢まで電車で20分なので、
これは衝撃だった。
これは本当に東京なのか?ってなった。
家の近くに富山でおなじみの田んぼもあった。
あ、東京ってどこも都会だと思っていた、、、
当時の僕には大きなショックだった。

そして、高田馬場で闊歩する早稲田生、
三田で澄ました顔している慶應生、
とかに今更憧れている。

大学はいいとこいけ!
それは、こののちのちさらに感じていくことになる。
高校生よ、勉強だ!

画像は、東京の田んぼ
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