儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

当時、大学1年で借金10万円貯金ゼロ。

今日は、大学1年のときの出来事を書いてみる。
当時、起業とか憧れていた!
単純にかっこいい!とか
新しい何かを創りたい願望に満ち溢れていた。

大学1年の夏頃だったろうか、
中学時代からのメル友がいて、
たまたま彼も東京の大学に出てきてた。
彼は福井の人で中学のときにメル友募集掲示板で出会って、パソコンで当時メールをしていた人だ。もちろんあったこともない。
ちなみに、男性ね。

そんな彼からいきなり連絡がきて、
おれも東京だよ!ってなって、
会おう!ってなって、
ビジネスとか興味ある?ってなって、
ある!ある!ってなって、、、
呼ばれた勉強会。

経営コンサルタントが講師にきて、
学生が話を聞くというもの。
内容は忘れたが、何も知らない学生からしたらとても新鮮だったのは覚えている。
経営コンサルタントの男性は、オールバックで年齢は40前後だったろうか、学生の僕から見るといいスーツを着てるように見えた。

何かビジネスアイデアある人は見てあげるから言ってね!と言っていたので、
何かのチャンスかと思い、帰り際声をかけて
とっさに考えた教育ビジネスの話をしてみた。
これは、今でも覚えているが、
子どもをもつ親のための塾のビジネスプランだった。
すると、経営コンサルタントの男性は、企画書書いてきなよ!と言う、
僕ははい!と言って、徹夜で作った。

それをもって約束の場所へ
部下?の男性に案内されたのは、
東京ドームホテルの最上階のラウンジだった。
経営コンサルタントの男性がタバコを吹かしてた。 
タバコが二本たまると店員さんがこまめに灰皿交換にやってくる。
水が数百円するところだった。
田舎から出てきたばかりの男の子にはおっかなびっくりだった。
大学1年の教育学科の学生が作ったワードで作った資料を手渡す。
彼はペラペラそれをめくり、ダメだこりゃ、ってなった。
明日までに出し直せ!
ってなった。

必死に徹夜で作り直して、再度時間もらって会ったのが、赤坂。
人生で初めて赤坂なんて行った。
田舎の富山は、日産や三菱の軽トラックや
国産の軽自動車ばかりなのに、
赤坂の車は7割くらい外車だったのを覚えている。 

そこで、作り直した事業計画書をなんて言われたか覚えてないが、
勉強会があると、話をされた。
週一回二ヶ月で8回の勉強会。
そこでビジネスを学べるんだという。
おもしろそう!って思った。
んで、二つ返事でやります!って言った。

あ、金額言ったっけ?と側近の人が言う。
いや、いくらですか?と聞くと
20万円だよ。現金で払ってね。と言う。
え、そんなに、??
僕は正直に、まだバイトもしてなく、
大学の合格祝いとかでもらったものとかで
10万円だけ貯金はあるが、20万円なんてない、と話をした。
すると、側近の彼は借金しなよ、ってあっさり言い出した。
いや、でも、、、
さすがに田舎から出てきたばかりの
大学1年生の僕は躊躇した。
でも、会社ってみんな借金してやるんだよ?
とかもっともらしいことを言われて少し納得してしまった。
その足ですぐに高田馬場の学生ローンに行き、
お金を10万円借りた。
貯金を降ろし、20万円現金で渡した。
案外、簡単にお金を借りることができるんだなと、びっくりした。

その勉強会の内容は、
うすっぺらいレジュメを配られ
マナーの基本から教えられた。
本読んどけって言われていたが、
今思うと本で事足りる内容。
具体的な応用の話は、面白かったかな。
接待の相手のために、相手の好みを考えて二次会会場を予約するとか、
タバコはその人の吸う銘柄を常に
持ち歩くとか、なるほどと思う話もあったが、
20万円の価値は感じられなかった。

その仲間内の招待制の勉強会が、
赤坂のビルで終電後に始まり、
始発の頃に終わる。
その怪しい深夜の勉強会で、
投資家だというぶっとんだ考えをする
40代であろう人の話はいろいろ衝撃で勉強にはなった。

ただ、こことの関わりは秋には終わりにした。
先がまっまく見えなくなったから。

借金10万円、貯金ゼロ、希望もなくなった、ので
とりあえずバイトを、初めて
真面目に学校に通った。 
大学1年の服部の挑戦は失敗だった。

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