儲かる地域づくりに挑戦する!!林登の経営ブログ

1988年生まれ。30歳。石動小学校、石動中学校、福岡高校、帝京大学教育学科卒業。高校講師、介護現場で働く。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科にて公共政策を研究。28歳で東京から富山県小矢部市にUターン。勝星産業(株)にて営業職に従事30歳で退職。小矢部市議会議員選挙に最年少30歳で当選。同年8月に会社設立し、稼げる、儲かる地域づくりにビジネスでも挑戦します。

富山にUターンします。北陸新幹線乗りながら回想。

本日2016/3/30、東京を出て富山県小矢部市の祖父母の家に向かっています。
北陸新幹線の中で東京に出てくるまでを回想したので、書いてみる。

共働きのうちは、子どもの頃に母方の祖父母の家にいることが多かった。
祖父母の家の前は、特急街道と呼ばれた北陸本線が通る。家のすぐ近くに倶利伽羅トンネルがあり、トンネルを抜けると石川県になる。

そんな家の前を走る電車を見てるいると自ずと電車好きになっていった。
北陸本線には、カラフルな電車たちが朝から夜中まで走り続けていた。
新潟富山⇄大阪 特急 雷鳥
富山⇄神戸 特急 スーパー雷鳥
富山⇄名古屋 特急 しらさぎ
金沢⇄新潟 特急 北越
金沢⇄長岡 特急 かがやき(上越新幹線接続用)
金沢⇄上野 特急 白山(長野経由)
福井⇄上野 急行 能登(長野経由)
金沢⇄上野 寝台 特急 北陸(長岡経由)
大阪⇄青森 特急 白鳥
大阪⇄函館 寝台特急 日本海1号
大阪⇄青森 寝台特急 日本海3号
新潟⇄大阪 急行 きたぐに
新潟⇄大阪 寝台特急 つるぎ

僕の小学生のときの北陸本線は確かこんな感じ。
これをみながら、僕らはどこでもいけるんだ。
可能性は無限大だ!って思っていた。
電車にひょいっと、飛び乗れば乗り換えをしないでも
大阪、京都、兵庫、滋賀、岐阜、名古屋、福井、石川、新潟、長野、群馬、埼玉、東京、山形、福井、秋田、青森、北海道まで電車一本で行けた。

そして、この日本中から北陸にやってくる電車を眺めながら、何かにワクワクしていた。
電車の形も色も違う、クリーム色のやつ、緑と水色のラインが入ってるやつ、ピンクと水のやつ、寝台特急は機関車が先頭で青い客車を引っ張る、その客車の窓の形もそれぞれ。

そんな中で、北陸新幹線の工事が僕の通う小学校の目の前で始まっていた。
富山県と石川県の県境で山の麓にあるこの小学校の目の前で、長いトンネルに入る新幹線の新しいトンネル工事をしていた。
大きな看板に、早期開業を!とか、デカデカと、バカみたいに書いてあった。
ランドセルを背負った僕は、北陸新幹線という未知のものに、ちっともワクワクしなかったのを覚えている。

新幹線よりも在来線が好き。
特に寝台特急はワクワクする。
高岡駅から上野行きの北陸に乗ると、朝5時ごろ大宮駅につき、列車は上野駅を目指し、住宅街やビルの中をひた走る。
早朝の街は、静まり返り、まるでこの地球上で動いてるのはこの電車だけ、さらにこの静まり返った車内でも起きてるのは自分だけなんじゃないだろうかって思えた。
線路のつなぎ目からする鉄の音を聞きながら、これから向かうまだ知らない世界を創造していた。
東京ってどんなとこだろうかって。

高校を卒業し、寝台特急 北陸で上京した。
帰る時も北陸でって思っていたら、
あいつらおれより先に東京を卒業しやがった。
まじ、やられた。
気付いたら誰もいない。
高岡駅を毎日たくさんの電車たちが行っては来てを繰り返していたのに、今では各駅停車の電車のみ。

今は、電車に飛び乗っても東京までしか行けない。
どこにも行くなってか?
みんな東京に行けってか?
そんなに、東京は素敵な場所ですか?

東京がそんなに良い場所かわからないけども、
僕にとっての東京を振り返るなら、
夢を見させてくれた街でした。

小学生から中学生にかけて、NHKプロジェクトXをよくみた。日本という国を世界の中でも確固たる経済大国にまで作り上げた、大きなプロジェクトを紹介していたが、舞台はほとんど東京だった。

お昼のワイドショーとか何かのテレビでやる、美味しいラーメン屋とか、クレープ屋とか、全部東京だった。

テレビで見る、プロ野球
地方で流れる放送は、巨人戦ばっかで
試合は横浜スタジアム、東京ドーム、神宮、西武ドーム、千葉マリンってみんな東京圏

テレビドラマ。
職場は、大きなビルの大きなオフィス。
夜はおしゃれなレストランでデート。
キスをするのは、東京タワーの目の前。 

昔から祖父には、家を継げと言われていた。
だから、東京行ったら帰ってこんかも!
家から通える大学に行きなさいって言われていた。

けど、東京への憧れは強かった。
こんなとこにいて何ができるんだろ。東京に行ったら何かあるんじゃないかな?
そう思った。

「なぁ、お前東京知ってる?」
いつも昼飯一緒に食ってる友達に聞いた。
「東京?あれだろ?ミニスカートのネェちゃんがたくさんいる街だろ?いいよなぁーー東京いいよなぁー」
田舎男子のそんなくだらん会話にも飽きた。

東京で起業したい。
東京なら起業できるんじゃないかって思った。
なんかわかんねぇけど。何の根拠もないけど。

学校の先生に「東京の大学行きたい!」
そう言ったら、
「おいおい、お前の成績なら、山形大学とか鹿児島大学とかの経済学部なら可能性あるんだから!」
だれがそんな田舎いくかよ。
国公立の合格率上げたいだけだろが、
このくそ教師。
って本気で思った。言えなかったけど。

本当にムカついた。
こんなクソみたいな教師がこれからも後輩たちの進路指導をすると思うと、後輩たちが可哀想に思えた。

とはいえ、国立大志向が高い富山県
第一志望は、東京の東京学芸大学をずっと書いてた。
もちろんずっとE判定
うちの高校でもトップにいないと入れないだろう。ダメ元で書いてた。

国立だろうがなんだろうが、東京以外いくつもりはなかった。
さすがに、不可能な学校うけてもなって思ったので、埼玉大を受験することにした。
センター試験が終わって、自己採点の結果を見た先生は、これだと埼玉厳しいなー他にしたらどうだ?と言う。
悔しかった。
この点数ならまだ可能性あるし、、、二次試験で逆転できる余地はある!
1日悩んだが、東京以外考えられないし、東京の近くの大学で可能性あるところなんてなかった。東京大学?無理無理!!
千葉大学?無理無理!!
東京学芸大学?だからE判定!!
横浜国立?無理無理。
都留文科大?んー、東京遠い。
高崎経済大?んー、東京遠い。
無理だ。国公立は、埼玉大しかない。
先生に、やっぱり埼玉受けさせてください。言うた。
高校生の僕にしては、ここまではっきりと自分の意思表示をしたことがなかった気がする。
ものすごく緊張した。
先生が何も反論してこなかったので、
少しぽかーんとしたのを覚えている。

あとの滑り止めの私立は全部、東京。

結果、私立の帝京大学に行くことになった。
そんなこんなで、東京に行ったのは今からちょうど9年前の今頃だった。

9年でだいぶ変わったね。
富山も自分も。

本当にいろんな人に出会えた。
東京ありがとう。
f:id:hattorinoboru:20160330102452j:image